まっさら。

何にもありません。ただまっさらな、素直な自分がここにいます。

2020.11.13.

ご無沙汰してます。そして夜分に失礼します。tofuです。

これから綴ってある文章は2年以上前に書いて、下書きにずっと残っていたものです。就活真っ只中だった自分はこれからの歩みに悩み、悩み、悩んでいました。(転職が当たり前の時代そこまで悩まなくても良かったかもと今は思います。)

時を経て改めて読むと、ありのままな感じがいいなと思ったので投稿させてもらいます。

それではどうぞ。

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彼女は感情を表現することが苦手な人です。でも、人に愛される性格をしています。(周りの人はよく、彼女のことを何考えているか分からない、優しい人だと言いますが。)彼女は人の弱さを知っています。それは彼女が弱いからです。彼女は人の強さを知っています。それは誰よりも人の可能性を信じることができるからです。彼女はいつも人に“大丈夫”という言葉をかけます。それは彼女にとってのおまじないです。人と接する時、その人を否定せず、包み込もうとする彼女のスタンスが、他人に相談しようと思わせるようです。(高校の時は同期や後輩の悩みを聞く相談員のようでした。仲の良かった友達は、両親の離婚による精神的不安がありましたが、彼女の存在のおかげで卒業まで学校へ通うことができたと言っていました。(卒業後の手紙のやり取りで発覚しました。)フィリピンでの日本語講師時代は、パッションがある・いつでも信じてくれると言って、信頼を寄せてくれる学生に恵まれていたように思います。)彼女は自分のこととなると、とても臆病です。自分の弱みは見せません、プライドが高いのかもしれません。しかし、他人のこととなるとそのプライドは全くなくなります。高い協調性・謙虚さを発揮するのです。(例えば、話し合いの場、ボランティア作業などのグループ活動では人の話を肯定的に捉えた上で、自身の意見との共通点を見いだそうとする姿勢がありました【協調性】。例えば、日本語教師として学生のために周りの人にアドバイスを積極的にもらいました。アルバイトの時、お客様に対するおもてなしのために、お客様や店長から注意されたらまず謝り、同じ過ちを2度と起こさなかったです。【謙虚さ】)このように時間はかかりますが、彼女は彼女への信頼を獲得してきました。彼女の心には、自分のために生きたい自分と、他人のために生きる自分がいるような気がします。もちろんどちらも彼女です。今の私は、どちらの彼女も素敵だと思います。でも、将来おばあさんになった時にでも、彼女が“自分の人生を生きることができた”と言える日が来ることを願っています。

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この文章、自分が自分を紹介したもの。彼女は自分。

本当にそうだろうか、と疑いたくなる箇所もある。でも、自分らしさだな、と感じる文章。

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ここで、今考える自分を綴ってみる。

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自分は、周りの人間に恵まれすぎている。

グループや部活、組織の中で、なんだかんだ愛されていた。

それは自分が他人の心の温かさを敏感に察知できるということなのだろうか...。

24年の人生、経験が足りず、まだ自分の考えを見つけられずにいる。

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自分は、負けず嫌いだ。

幼い頃は他人(両親)に失望されるのが嫌で、周りに負けたくないプライドから必死だった。自分で言うのもアレだが、努力していた。

大人になった。今は悪い知恵をつけた。

”他人と張り合おうとしなければ、勝つことはないが負けることもない。”

だから、物心ついてから大きな挫折や失敗をした記憶がないのだ。

自分は他人を意識しすぎて、無意識に挑戦することから逃げたいと思うようになった。

負けていないことは負けているということに気づかなければならない。

あー、幼い頃に戻りたい。

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自分は、人の役に立ちたい人間だ。

他人の役に立つことが自分にとっての幸せ。

就活中に行き着いた、自分の人生観の一つ。

でも、実際他人のための行動なんてしていない。

幸せになるのがいいに決まっているのに、幸せになろうとしていない。

自分は、人の役に立ちたい人間だ。と自信を持って言えるようになりたい。
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