まっさら。

何にもありません。ただまっさらな、素直な自分がここにいます。

人間らしい画家、ゴッホ。□

時間が経つのは早いものですね。

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こんにちは。tofuです。

10月30日、ゴッホ展 ー響き合う魂 へレーネとフィンセントー に行ってきました。

久しぶりに刺激という刺激をもらいました。

そして、自分の芸術の楽しみ方も変わったなとと感じたのでここに残そうと思います。

展示会のテーマソング、大橋トリオさんのlampを聴きながら...

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ゴッホは人間らしい人間。

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これまでの自分の中のゴッホはひまわりを描いた有名画家。

その凄さを何も分かっていませんでした。

しかし、今回少し分かった気がします。

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ゴッホは聖職者になることを諦め、27歳で画家を目指す。

素描の練習から始め、3年後には本格的に油彩で絵を描くように。

さまざまな描法を学びながら、ゴッホ独特のタッチが生まれました。

学び続ける姿勢、どんなことがあっても描き続ける精神力、他人には理解できない感情の起伏...

ゴッホは自身と向き合い続け、その感情や想いを残してきたんだと思います。

だから、ゴッホの絵たちにはそれぞれの心があるように感じました。

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今回の展示会では音声ガイドを借りて、自分自身一つ一つの作品と向き合いました。

まずは絵を見て、説明と音声ガイドを聞いて、絵を見て、離れて絵を見て、感じる。考える。

今まではなんとなく見てなんとなく考えていました。

いろんな作品展に行くうちに知識や好奇心が成長したんですね、きっと。

とても楽しい鑑賞でした。

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音声ガイドのゴッホの言葉で印象的な言葉があります。

”自分にとって素描は種まき、油彩は収穫なんだ”

”種まきや麦束は無限の象徴”

自然、農業、嘆き・悲しみといった感情、糸杉などゴッホが大切だと感じる要素には、神や信仰に通ずるものがあります。

そういうところも人間らしいなと感じた点です。

努力家の天才も何かを信じ、頼って生きたいと思う。

絵画たちがより美しく見えました。

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そしてこのゴッホ展の見所、へレーネという世界一のゴッホ愛好家。

彼女はゴッホ以外の作品も多く収集していて、その作品たちも見ることができました。

感じたのは、精神性の高さを大切にしていること。

わかりやすい作品で言うと、スーラやシニャックといった新印象派の作品。

点描という技法で作品には美しさと精神力を感じます。

そして彼女は後世に残すことを強く願っていました。

その想いがなんとなくですが収集した作品たちに現れていました。

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最後に自分の印象に残った作品をご紹介。

・ジャン=フランソワ・ミレー  グリュシー村のはずれ

展示の序盤でこの絵を見たとき、素直に美しい絵だと思ったのです。

ゴッホも尊敬していたミレーの作品だそうで。

後から知りましたけど、とてもいい作品です。

フィンセント・ファン・ゴッホ  読書する老人/悲しむ老人

この作品たちは決してセットで描かれたものじゃありません。

描かれた時期も違う、片方は素描で片方は油彩、でも構図はほぼ同じ。

2つの作品で作品の温度感、感情が全然違った。

なぜ、悲しむ老人を見るとこんなにも悲しいのだろうかというほど悲しかった。

哀れに思ったのです。

その衝撃が今も感覚として残っています。

フィンセント・ファン・ゴッホ  モンマルトル:風車と菜園

自分、モンマルトルに行ったことがあります。

厳密にはモンマルトルの丘にあるサクレクール寺院

訪れて以来、好きな場所になりました。

昔モンマルトルは多くの画家が集う場所でした。今も画家が自分たちの作品を売っています。

そこでエッフェル塔が描かれた作品を購入したな。

自分の思い出話は置いておいて、

ゴッホのモンマルトルの絵は風車が描かれたものです。

自分が知っている景色ではありません。でも感動した。

モンマルトルに流れる温かく淡く清々しい感じ。その空気が作品の中に流れていました。

思い出して心がジーンとしてしまいました。

フィンセント・ファン・ゴッホ  レモンの籠と瓶

自分、梶井基次郎さんの檸檬を知ってからレモン好きなんです。

この絵画はゴッホの代表作ひまわりが描かれ始める前、さまざまな黄色を試していた時期のものだそうで、なんか面白いなって。いいなって思ったので印象的でした。

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ここでゴッホと出会ったこと、知れたこと。そして、へレーネを知れたこと。

とてもよかったです。

またひとつ新しい刺激をもらって、いろいろと頑張れそうです。